私の使命は、人の評価を気にせず自分らしく輝いて生きる人をサポートすること。

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私は、子供のころから漠然とした「生き辛さ」を感じていました。

 

いつも完璧でない自分を責めているような子供でした。

 

「生きることは辛いことだなぁ。」
「どうしたらもっと楽に生きられるのか?」
そんなことばかり考えていました。

 

 

そしてそんな自分を隠さず自己開示していたので、
そのころの私は、同年代の友達からよく悩みの相談を受けていました。

 

 

「めぐちゃんには、何でも話せる」
「厳しいことも言ってくれる」
と、なぜか頼りにされていたのです。

 

 

時には、大人から相談を受けることもありました。

 

 

 

高校生の頃から「カウンセラー」という仕事に興味を持ち始めていました。
大学では社会福祉学部に在籍しましたが、
大学内外で、カウンセリングの勉強も開始していました。

 

でも生き辛さはまだまだありました。

 

 

寂しさからセックスに走り、在学中に妊娠し、結婚。

 

最初の夫との間には2人の子供を授かりましたが、
夫の浮気が原因で家庭は崩壊。
私は、夫への不満を子供に八つ当たりしていました。

 

思わず子供に暴力を振るったこともありました。
そして、最低の母親だといつも自分を責める悪循環でした。

 

 

2度目の結婚、そして、さらに2人の子供を出産。

 

 

自己受容できていない、
精神的自立もできていない、
大人になれていないままで、
私は4人の子供の母親になってしまったのです。

 

 

結局2度目の結婚生活は、夫のDV、借金が原因で離婚。

 

 

1度目の結婚も2度目の結婚も、
私自身が精神的に自立できてなかったこと、
自分の寂しさを相手で埋めようとしていたことが
隠れた心の問題を持っている男性と結婚することになったのかもしれません。

 

無意識ですが、自分が選んでいたのです。

 

 

母親として経済的にも精神的にも自立できていなかった私は、
子どもを4人連れて別居したものの、育てきれず、
結局、家庭裁判所の調停で、元夫に親権を明け渡すことになったのです。

 

愕然としました。
母親としての自信も、心の支えも失ってしまいました。

 

 

今考えると当然の結果だったと思います。
私は、夫への不満を子供への八つ当たりで解消するような母親だったのですから。

 

 

その当時の私は、

子どもの存在が生きる支えになっていたので、
私を必要としてくれる幼子と引き離されたら、
生きる気力がなくなってしまいました。

 

 

何度も車に飛び込もうとしましたが、死に切れませんでした。

 

結局は生きるしかないのだから、
打ち込めるものとして、子どもを授かる前にやりたかった仕事をしたいと思いました。

 

 

それがカウンセラーという仕事でした。

 

私と同じように苦しんでいる人の力になりたいと思いました。

 

 

子どもの頃から漠然とした生き辛さがあり「死にたい」「死にたい」と思い、
寂しさからセックスに走り、中絶も経験し、
最初の夫の浮気で心は砕け、
2度目の夫のDVや借金問題でお金の苦労もして、
最後は、自分が鬱にまでなって苦しんだ日々。

 

 

その後、
私は心理学やカウンセリングについて、本格的に勉強を始めました。

 

 

自分自身が楽になりたかったのですが、

「過去の私と同じように苦しんでいる人を助けたい」

という思いもあふれていました。

 

人の心理について学び、

カウンセラーとして他人の悩みと向き合っていく中で、

必然的に自分自身の問題とも向き合うこととなりました。

 

 

私の問題は、

自分に満足できていなかったので、

同じように満たされない男性を無意識に選んでいたということでした。

 

 

それは「愛」ではなく、ただの「依存関係」でした。

 

 

可愛そうなのは、そんな2人の間に生まれた子供達です。
子供はどこにも逃げ場はありません。
『自分自身を愛せず、自分の子供にも本気でかかわることができない。』

そんな母親に育てられた子供たちの心の闇を想像すると、

私は胸が熱くなるのです。

 

 

最も大事な子供時代を、親の犠牲者として過ごさせてしまった。

そんな自分自身の後悔や罪悪感がずっとありました。

 

子供も傷つき、

私自身は罪悪感で、さらに自分を傷つけることになってしまいました。

 

 

しかし、今の私は過去の私を責めません。
自分の過去も自分の責任として受け止め、
やっと過去の自分も許し受け入れることができました。

 

 

子ども達にできることは、
私自身が幸せに生きることと思うようになりました。

 

 

 

私は自分自身を愛せていなかった」
「精神的に自立できていなかった」

心理学を学び始めた頃は、

それが私の全ての不幸の原因だったと、

無意識に自分を責めていました。

 

しかし、
自分を愛せなかったのも
自立できず、いつまでも弱い自分でいたのも
無意識の自分を守ろうとする手段だったということに気づきました。

 

自分を愛せなかったのさえも、

弱い自分でいたのさえも、

自分への愛だったのです。

 

 

今でも辛い出来事は当然起こることはありますが、

これがわかってからは

以前の不幸感はなくなりました。

 

 

私に必要なことは、
「誰かに愛してもらうこと」ではなく、

 

「ありのままの自分を受け入れ、自分が自分を愛すること」
でした。

 

 

今私には、私を愛してくれるパートナーがいます。

わけあって、結婚はしていません。

 

 

今の私にとって大事なことは、

「結婚しているかどうか」よりも、

「2人がどんな関係でいるか」ということです。

 

 

私たちは、それぞれが自立し、

お互いに尊敬し合い、

時には甘えさせてくれる、

理想のパートナーです。
彼と出会えたのは、私自身が自分と向き合い始め、

「与えられる愛」ばかりを求めることをやめたときでした。

 

 

今の自分なら、子供達を尊重し、優しくおおらかに接してあげることもできるでしょう。

 

 

時々、道を歩いている時や電車の中などで、
小さな子供に罵声を浴びせたり、

暴力を振るっている母親を見かけると、
私は胸が熱くなります。

 

 

「子供がかわいそう」という気持ちと同時に、
その母親の苦しみを感じてしまうのです。
そして、その母親の助けになりたいと思います。

 

その母親の自分自身に対する自己否定感が
子供も、自分自身も傷付けているのです。

 

 

暴力ほどでなくても、
心に余裕がなく、
子供の気持ちを察しながら、
ゆったりと子育てできている母親は少ないのではないでしょうか?

 

「子どももかわいそうだけど、お母さんもかわいそう」
なぜなら、母親の幸せは、子どもが幸せでいることだと知っているからです。

 

 

 

子どもを幸せにするためには、まずはお母さんが幸せでないと!

 

これ以上、私が作り出したような苦しみを増やしたくはありません。

 

そして、過去の罪悪感から解放される方法もわかってきました。

 

 

「子どもの人格が尊重され、十分な愛を受け、子ども達がのびのびと育つ家庭を増やしたい」

 

それが私の願いです。

 

 

そのためには、まず母親になる女性が、

「ありのままの自分を受け入れ、自分を愛すること」が不可欠だと思います。

 

人の評価を気にせず、自分らしく輝いて生きる!

 

 

それは、精神的に自立することでもあります。

 

 

自分自身を愛せないと、どこに求めても自分の幸せは得られません。

 

 

 

自分を幸せにしてくれる誰かや状態を求めるのは、

【青い鳥】を探すようなものです。

 

 

たとえ、自分を幸せにしてくれる【白馬に乗った王子様】が見つかったと思っても、

どこか満たされないものが残るでしょう。

 

 

「自分を幸せにしてくれる王子様」や、

「与えられる愛」を求めることをやめたときに

あなたにとっての理想のパートナーを見つけることができます。

 

 

そしてそれは、

あなたの子供が愛の中で
健全に育つ家庭作りの第一歩でもあるのです。

 

 

そんな愛にあふれた家庭が増えれば、
子供たちはもっと自由に、人生を楽しむことができるでしょう。

そして、結果、人に優しくできる人が増えます。

 

 

そんな家庭や社会を作っていくために私は、
この思いをこれからもたくさんの方に伝えていきたいと思っています。

 

 

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一般的には、『セルフラブ』と『自己愛』とは同じ意味に使われていますが!

「自分を愛している」という方には、

ふたとおりのタイプがあります。

 

 

もし、

「私は、自分のことが好きだし、
自分のことを認めて肯定している。」
と思う人がいたら、

どちらのタイプが考えてみてくださいね?

 

ふたとおりのタイプを

「自己愛」と「セルフラブ」という名前で分けてみます。
「自己愛」「セルフラブ」という言葉は、いろいろな意味に使われていますね。

 

一般的には、『セルフラブ』と『自己愛』とは同じ意味に使われていますが、

私は、「自己愛」と「セルフラブ」を、次のように表現してみました。

 

「自己愛」…極端なうぬぼれと自己陶酔的な自分への愛

「セルフラブ」…長所だけでなくダメな自分も肯定できる自尊心

 

どちらも、自分のことを愛している感じですが、
全く違います!

 

(さらに…)

自分の中にない考えは生まれてこない

今日は、短いブログですよ。

 

長い文章だとマインドで理解しようとするので、

今日は、とにかく体験(感覚)に戻って欲しいために短くします。

 

もし、あなたが

『自分は完璧に可愛くて、完璧に性格も良くって、言うことなし!』

だと自分で自分のことを思っていたとしたら、

誰かがあなたのことをけなしているという考えが出てくるでしょうか?

 

 

 

よ~く、自分で想像して体験してみてください!

 

 

 

 

 

 

そう、自分の中にない考えは生まれてこない

 

 

これって、頭で考えているより、

自分で想像して体験してもらった方が納得感が出てきます。

 

その納得感が自分のものになるのです。

 

 

 

さて、自分で想像して体験してみた方はわかると思うのですが、

 

周りの人からどう思われているかという考えは、

 

自分の中の考えを変えれば変わるということ!

 

 

 

あなたの中にその考え方がなければ、

 

その発想自体がでてこない!

 

 

人は変えられないけど、

 

自分の中の考えだったら自分で変えられるはずですよね♪

 

 

そのためには、無意識で、あなたが何を考えているかを知ることが必要になってきます。

 

 

無意識で考えていることなので、

 

頭で考えてみつかるものではないんです。

 

 

ひとつの方法として、

 

頭の中で考えている言葉を紙に書いてみてください(^^)

 

 

 

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人と比較して落ち込むとき

思考の特性として、
変化することを好むということがあるそうです。

 

変化したかと感じるためには、
なにかと比較しなければなりません。

 

あなたは、なにと比較してますか~?

 

比較する基準によっては、比較すると苦しくなりますね。

 

 

(さらに…)

私がどうしてセラピストになったか!(その6)

私がどのように癒されていったかという話をしてみます。

小学生の頃から漠然とした生きづらさを持っていた私は、
ネガティブに浸りきって同化して、
自分では嫌でたまらないと思っていましたが、
実は、可哀想な自分に酔っていたのだということにも
全く気づいていませんでした。

親などの刷り込みによるリトルトラウマがたくさんあった点でも
カウンセリング・セラピーで、簡単に変化を起こせるタイプではありませんでした。

一番難しいタイプのクライエントなのでした。

小さい頃に大きなトラウマはないと思っていましたが、
癒されていくに従って、
それなりに、いろんなトラウマは持っていたんだと気づくことができました。

大きなトラウマはないと思っていた分、
小さい頃の自分に対して優しい気持ちになることもできませんでした。
そして、大学教授のセクハラに始まって、
性被害を受けているという点でも
難しいタイプのクライエントと言えます。
なので、私は、30年以上も苦しんだのです。

 

今は、過去のすべての自分の経験が大切で愛おしい経験です。

 

昨日、カウンセラーをさまよったと言いましたが、
EFTというタッピングセラピーやヒプノセラピーに出会って、
何か奇跡を起こるアイテムを見つけたような気持ちになりました。
しかし、
EFTなどのエネルギー療法も
イメージを使って癒していくヒプノセラピーも
体の痛みを和らげるボディーワークも
「これがなんなの???」
という感じで、ほとんど効果は感じられなかったのです。

 

 

EFTにであったことがきっかけで、

スピリチュアルな世界を知ることになりました。
スピリチュアルの知識は、
ワンネスと言っても、
自分がいて全体と繋がっているということで
エゴがベースになっています。
それでも、スピリチュアルの知識によって、
少しは楽になっていったのです。
なんとなく
「もううつ病にはならないな!」
という感覚にはなってきていました。

 

しかし、
人生を楽しめるようになってきた方法は、実はひとつではなく、

 

実際の人と人との関係性の中での癒し、
病態水準等の心理学的知識、
ソウルプランリーデイング、
カウンセリング、
ボディーワーク、
セラピー、
非二元の教えをベースにした心理学、
など、
いろいろなことが重なり合って癒しが起こってきたのです。
一旦、自分の段階が変わると面白いもので、
どんなセラピーを受けても
どんなボディーワークを受けても
変化を感じられるようになったのです。

ボディーワークも同じで、
例えば、今は鍼灸を受けても、

その店舗で一番変化が出る人だと言われています。

 

 

もちろん出来事が起こるとザワザワもするけど、
外の状況を変えなくても、
自分自身の見方が変わることで、
心の平穏さを取り戻すことができると実感できたのは
インテグレイテッド心理学に出会ったからです。

 

 

そして、知識だけでなく
フッっと体が楽になる不思議な体験をしていったことも大きかったと思います。

 

繊細なボディーワークを受けたこと
体が辛かったために毎日のように
微妙な体の感覚を感じるストレッチをしたことも助けになっています。

 

 

私自身が、苦しい時期が長かったということ、
カウンセリングやセラピーだけでは無理だった体験から、

 

・実際のセラピストとクライエントという関係性での癒し
・非二元の考えをベースにしたインテグレイテッド心理学の問いかけ
・病態水準に沿ったカウンセリング
・アクティブ・リスニング
・EFTやマトリックス・リバーシングやヒプノセラピーやカラーセラピー、その他様々なセラピーによる癒し
・フォーカシングや身体を感じていくメソッド

 

こういったことを織り交ぜて、
その時々に応じたやり方を提供しています。

 

 

過去の私のように、人生を楽しむことができずに、
生きることは大変だと思っている方に
人生にはいろいろあるけど、
どんなことがあっても大丈夫と思えるようになること、
そして、その出来事をあじわえるようになり、
「生きるって面白いなぁ」
と楽しめるお手伝いを心を込めて提供しています。

私がセラピストになったわけ(その5)

昨日までで、私の40歳ぐらいまでの人生の歴史をお話しさせてもらいました。
今回から、カウンセリング・セラピーを受けた歴史に照らしてお話ししてみます。

今日のところは、
癒しをさまよっている人への参考にもなるかもしれないので、
癒しを求めてさまよった話をできるだけかいつまんで話しますね。

それでも、長いですが、おつきあいくださいませ。

 

『私がどうしてセラピストになったのか!(その2)』にも少し書いていますが、

私がカウンセリングを初めて受けたのは、
大学教授の研究室でのセクハラじみたもので、
次には、学生相談室のカウンセリングでした。

 

学生相談室のカウンセラーには、
結局求婚されてしまい、終わりになってしまいました。

 

癒しになるより、
「優しくしてもらえるのは、性の対象としてだ!」
というビリーフを作ることになった傷つきだったと思います。

当時の私は、怒りもほとんど感じていませんでした。

そのことを相談した叔父には、
「なんでそんなことをされたんだ。」
と、私にスキがあったと怒られてしまったので、
「私が悪いんだ〜」
と、相手への怒りではなく、
自分を攻めていましたから。

 

この傷つきを本当の意味で、癒していけるには、
すご〜〜〜く長くかかっています。

 

 

子どもの頃から漠然とあった生きづらさや、
両親と離れた寂しさから楽になるために、
大学のときに、エンカウンターグループのワークショップに出たり、
カウンセリングの勉強の中でのペアワークが、
癒しの旅の最初かもしれません。

 

でも、あまり楽になっている感覚はなく、
結局、性の泥沼にはまっていき、
妊娠して学生結婚したのでした。

 

次にカウンセリングを受けたのは、
児童相談所の心理士さんのカウンセリングでした。

1度目の結婚のときの夫の不倫が、
二人目の子どもを産んだまもなくということもあり、
精神的に不安定になった私は、
子どもに当たってしまい、
「私は子どもを虐待して、子どもがおかしくなっています。」
と、自ら児童相談所へ助けを求めに行ったのです。
児童相談所へ通うことができたのは、
とりあえず平常心がなんとか保てる助けにはなりました。

児童相談所の心理士さんとの時間がなければ、
頭がおかしくなっていたと思います。

 

 

そして、
2度目の結婚が破綻するころにうつ病になり、
クリニックの臨床心理士さんのカウンセリングには長く通いました。
何度かクリニックを変わっているので、
3人ほどの臨床心理士さんのカウンセリングを受けています。
でも、やっぱり話を聞いてもらって少し楽になるぐらいで、
自分が変わっている感覚は持てませんでした。

 

 

2度目の結婚の別居中に下の子どもを夫に取られたときから、
カウンセリングの勉強のやり直しは始めたものの、
精神的に破茶滅茶な時期は続いていました。

 

 

お恥ずかしながら、
40歳過ぎて、思春期の男の子が二人いるなか、
再度、男性との交際に溺れることが復活していたぐらいですから。

 

このときも、そのスクールの先生でもある方のカウンセリングも何度か受けたりもしました。

 

そのときの印象は、
リフレームで我に帰る体験もあり、
「病院の臨床心理士さんより凄いなぁ」
と思った記憶があります。

 

こんな感じで、
どれだけ傷つけられても、
裏切られても、
人を信用する気持ちはずっと残っていたので、
常にヘルプを求めてカウンセラーを渡り歩いていました。
カウンセリングスクールでは、
箱庭療法とかゲシュタルト療法とか催眠療法とかも
やり方を教えてもらった程度で、
潜在意識の深い部分を扱えたという体験はありませんでした。
今日は長くなったので、次回に
私が癒されていったのはどうやってかという話をしますね。

〜〜つづく〜〜

私がどうしてセラピストになったのか!(4)

前回の続きです〜〜。

 

 

2度目の結婚が破綻する前には、

うつ病と診断されて、
たくさんの薬を飲み、病院へ通うようになっていました。
夫に子どもの親権を取られてしまったのも
それが元になっています。
通っていた心療内科のお医者さんには、
「あなたのような環境だとうつ病にもなるのは仕方がない。」
と言われましたが、
この時期は、夫とのことで警察沙汰になることもあったぐらい
ハチャメチャなときでした。

三男の心臓手術も成功して、
四男も産まれたというのに。
その頃には、
クリニックの臨床心理士さんのカウンセリングは受け続けていました。
しかし、薬もカウンセリングも
そのときは、少し楽になる助けにはなったけど、
私が変わる手段にはなりませんでした。

 

 

 

2度目の離婚後に、実家の岡山へ戻り、
児童相談所の一時保護所の非常勤職員として働くことになりました。

 

数年後には、福祉事務所の家庭相談員・女性相談員になり、
休日の日には、教育委員会が主催の電話相談のボランティアもしました。

 

その後2008年に、横浜へ引っ越し、
いろいろな新しいセラピーを学ぶ機会に恵まれ、
さらに、
人の心理について学び、
自分自身の問題とも向き合うこととなりました。

 

「私は自分自身を愛せていなかった」
それが私の全ての不幸の原因だったと、
やっと気づくことができたのです。

 

私に必要なことは、
「ありのままの自分を受け入れ、自分を愛すること」
だったのです。
自分に満足できていなかったので、
同じように満たされない男性を引き寄せ続けてい たのでしょう。

それは「愛」ではなく、ただの「依存関係」でした。

 

 

可愛そうなのは、そんな2人の間に生まれた子供達でした。
子供はどこにも逃げ場はありません。
そんな環境で育ったせいか、
長男は、長年いじめに遭いました。

次男は、私と同じように生き辛さを感じ、何度も「死にたい」ということがありました。

 

自分自身を愛せず、自分の子供にも本気でかかわるこ余裕がない。
そんな母親に育てられた子供たちの、心の闇を想像すると、 私は胸が苦しくなります。

 

私が自分を嫌いなままで、
心の成長ができたいない段階で、
結婚・出産したことで、子ども達も傷つき、
さらに自分も傷つけることになってしまったのです。

~~つづく~~

私がどうしてセラピストになったのか!(3)

『今のスタイルのセラピストになったわけ』の続きです!

前回は、大学入学から最初の離婚に至るまでの話でした。

今日は、最初の離婚後の話です。

では、つづきを読んでみてください~~。


 

別居時期から、
ひとりで2人の子育てしていく自信もなく、
すでにある方とのお付き合いが始まっていました。

そして離婚後、
すぐにその方と再婚。

さらに2人の子供を出産。

こんなに簡単に書いたら、
なんか簡単に結婚して、
簡単に、また2人産まれたみたいに思うかもしれないけど、

もちろんいろいろありました。

 

自己受容できていない、
精神的自立もできていない、
大人になれていないままで、
私は4人の子供の母親になってしまったのです。

 

この時は、一般的な母親の年齢になって出産したのですが、
(長男と四男の年の差は、一周りほど違います)

平穏な子育てとは程遠いものになりました。

 

子育てからの学びを書いていたら、
『私がセラピストになったわけシリーズ』だけで、
数日かかるので、ここでは割愛しています。

 

子育てのほんの一部の出来事なのですが、
もし、私の子育て奮闘記『子どもの闘病生活編』を読んでいただけるなら、
下のリンクからお願いします。

自叙伝⑥ 重症心臓病の三男出産(2009年4月24日アメブロ記事)

自叙伝⑦ 新生児ICUでの対面まで(2009年4月25日アメブロ記事)

自叙伝⑧ 闘病子育てへ(2009年4月26日ブログ記事)

自叙伝⑨ 闘病生活と手術(2009年4月27日ブログ記事

三男の心臓病の闘病から得たもの(2009年4月28日ブログ記事)
2度目の離婚では、
結局、元夫に下の二人の子供の親権を明け渡すことに。

愕然としました。
生きる気力をなくしてしまいました。

 

子どもの存在が生きる支えになっていた私は、
私を必要としてくれる幼子と引き離され、
生 きる意味がなくしたのです。

 

何度も車に飛び込もうとしましたが、
死ねませんでした。

 

結局は生きるしかないのだから、
何か自分ができることがないかと考えました。

 

そして、子どもを授かる前にやりたかった 仕事をしたいと思ったんです。
それがカウンセラーという仕事でした。

私と同じように苦しんでいる人の力になりたいと思いました。

「私と同じように苦しんでいる人を助けたい」
という思いがあふれていました。

 

しかし、その頃の私はまだ苦しみの最中だったので、
もう一度学びなおすために通ったカウンセリングスクールでは、
「今のあなたではカウンセラーになることはできない。」
と言われてしまったのでした。

 

1度目の結婚も2度目の結婚も、
自己否定感の強いまま、
自分の寂しさを相手で埋めようとしていたからこそ、
隠れた心の問題を持っている男性と結婚することになったのです。

 

そして、私自身が、夫を浮気や DV に落とし込んだのかもしれません。

~~つづく~~

私がどうしてセラピストになったのか!(2)

前回の続きです〜〜。


もしよろしければ、前回からお読みくださいませ。


カウンセラーになりたかったのに、
大学は心理学部に落ちてしまい、
社会福祉学部に入学しました。

 

しかし、大学内外で、カウンセリングの勉強も開始しました。

なのに、生き辛さは加速したんです。

というのも、高校生までは出来事としてはたいして大変な問題はなかったのですが、

大学入学と同時に、
「カウンセラーにならたいなら、毎週私の研究室へ来なさい。」と言われ、
そこで大学教授からセクハラを受けたことを皮切りに、
いろいろな事件が起こったんです。

 

これも、高校時代までのかなり両親に依存していた生活から、
両親がイラクのバクダットへ住むことになり、
電話もほとんど繋がらないという状況になって、
寂しくてたまらなかったからだと思います。

 

もちろん、私の内面の問題があったからこそ、
そのような環境の変化に耐えられなかったのでしょうが。


セクハラやレイプに合ったことから自暴自棄になり、
寂しさが後押ししセックスに走りました。

身も心もズタズタになりました。

結局、在学中に妊娠し、結婚。

私が元夫と付き合うことになったのは

「世の中に障害者はいらない。使えない人はいらない。」
「俺は親には愛された経験がない。」
と元夫が言った言葉を聞いて
「なんて病んでるんでしょう。私の愛で変えてあげましょう。」
と思ったのですよ。

そう思った私も、病んでいましたね( ̄◇ ̄;)

 

最初の夫との間には、2人の子供を授かりました。

なのに、結婚3年後で、きっかけは夫の浮気が原因で家庭は崩壊。

 

私は、夫への不満を子どもに八つ当たりしていました。
子どもへ思わず暴力を振るったこともあったぐらいでした。


その割には、子育ての理想も強かったので、
最低の母親だといつも自分を責めていました。

すぐには夫と別れることもできずに、
1年半は家庭内別居だったので、苦しい日々が続きました。

その後、2年間の別居生活を経て、29歳で最初の離婚をしたのです。

〜〜つづく〜〜