前回の続きです!

前回は、大学入学から2度の結婚生活の話でした。

今日は、離婚後の話です。

では、つづきを読んでみてください~~。


2度目の結婚生活の破綻で、生きる気力もなくして‥

2度目の離婚では、
結局、元夫に下の二人の子供の親権を明け渡すことに。

愕然としました。
生きる気力をなくしてしまいました。

子どもの存在が生きる支えになっていた私は、
私を必要としてくれる幼子と引き離され、
生きる意味がなくしたのです。

何度も車に飛び込もうとしましたが、
死ねませんでした。

結局は生きるしかないのだから、
何か自分ができることがないかと考えました。

そして、子どもを授かる前にやりたかった 仕事をしたいと思ったんです。
それがカウンセラーという仕事でした。

私と同じように苦しんでいる人の力になりたいと思いました。

「私と同じように苦しんでいる人を助けたい」
という思いがあふれていました。

お恥ずかしながら、自分のためにカウンセラーの仕事をしたいと思ったのが動機です。

その頃の私はまだ苦しみの最中だったので、
もう一度学びなおすために通ったカウンセリングスクールでは、
「今のあなたではカウンセラーになることはできない。」
と言われてしまったのでした。

結婚生活が破綻した本当の理由は、今ごろになってわかったのです

1度目の結婚も2度目の結婚も、
自己否定感の強いまま、
自分の寂しさを相手で埋めようとしていたからこそ、
隠れた心の問題を持っている男性と結婚することになったのです。

そして、私自身が、夫を浮気や DV に落とし込んだのかもしれません。

2度目の結婚が破綻する前には、
うつ病と診断されて、
たくさんの薬を飲み、病院へ通うようになっていました。
夫に子どもの親権を取られてしまったのも
それが元になっています。
通っていた心療内科のお医者さんには、
「あなたのような環境だとうつ病にもなるのは仕方がない。」
と言われましたが、
この時期は、夫とのことで警察沙汰になることもあったぐらい
ハチャメチャなときでした。

三男の心臓手術も成功して、
四男も産まれたというのに。
その頃には、
クリニックの臨床心理士さんのカウンセリングは受け続けていました。
しかし、薬もカウンセリングも
そのときは、少し楽になる助けにはなったけど、
私が変わる手段にはなりませんでした。

児童相談所の非常勤職員や福祉事務所の女性相談員として働く

2度目の離婚後に、実家の岡山へ戻り、
児童相談所の一時保護所の非常勤職員として働くことになりました。

数年後には、福祉事務所の家庭相談員・女性相談員になり、
休日の日には、教育委員会が主催の電話相談のボランティアもしました。

新しいセラピーを学びまくる

その後2008年に、横浜へ引っ越し、
いろいろな新しいセラピーを学ぶ機会に恵まれ、
さらに、
人の心理について学び、
自分自身の問題とも向き合うこととなりました。

「私は自分自身を愛せていなかった」
それが私の不幸の原因だったと、
やっと気づくことができたのです。
(それだけではなく、全て他人のせいにしていたことも原因です。)

私に必要なことは、
「ありのままの自分を受け入れ、自分を愛すること」
だったのです。
自分に満足できていなかったので、
同じように満たされない男性を引き寄せ続けてい たのでしょう。

それは「愛」ではなく、ただの「依存関係」でした。

 

可愛そうなのは、そんな2人の間に生まれた子供達でした。
子供はどこにも逃げ場はありません。
そんな環境で育ったせいか、
長男は、長年いじめに遭いました。

次男は、私と同じように生き辛さを感じ、何度も「死にたい」ということがありました。

自分自身を愛せず、自分の子供にも本気でかかわるこ余裕がない。
そんな母親に育てられた子供たちの、心の闇を想像すると、 私は胸が苦しくなります。

私が自分を嫌いなままで、
心の成長ができたいない段階で、
結婚・出産したことで、子ども達も傷つき、
さらに自分も傷つけることになってしまったのです。

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