今日から、私がセラピストになったわけを、全5回の自己紹介シリーズでお話させていただこうと思います。

北海道の北の果てで誕生

私は、東京生まれの東京育ちの父と大阪生まれの大阪育ちの母から生まれました。(二人は水と油のように考え方や言葉の解釈の仕方が違っていました。)

東京に生まれ、東京で育った父は、中学校教諭として僻地教育に熱意をもっていましたので、
北海道の北のはて オホーツク海に面した北見枝幸というところで私は誕生しました。

一周4キロの瀬戸内海の島での幼少期

2歳の時に瀬戸内海の面積1.05km²という小さな島(飛島)へ引っ越しました。

飛島(ひしま)は、大潮の干潮時には今でも約300メートルの海の道が現れて神秘の砂州が見られます。

そして、島の中では、僻地の学校の先生の子供として見られ、父は東京育ち、母は大阪育ちということもあり、島の他の子どもたちとは、特異な家庭環境でした。

飛島は椿の里とも呼ばれていて、椿を見たら飛島を思い出します。

そこで小学校1年生まで暮らしました。
小学1年生はもちろん1クラスしかなく12名でした。

初恋もこの島でした♪
小学1年生でしたが両思いだったんですよ(^^)

島での生活はある意味特殊だったかもしれません。
島の人はどの人も船にのる仕事で生計を立てていました。
店も病院もない島ですから違う職種の人は、学校の教師しかいませんでした。
そして「教師=よそ者」でした。

「教師の子ども」って特別な目で周りから見られていたので、自分は他の子とは違うんだなぁ。
自分の行動に注意しなくちゃって幼いながらにも思っていたようでした。

物を買うことを知らないから、両親の実家の大阪や東京のおばあちゃん達から「この子は可愛くないわね。
何か買ってあげるって言っても 何もいらないって言うのよ!」と言われた言葉も覚えています。

物欲がなかったのではなく、今から思えば「買って欲しい」と言うことを言う機会があまりなかったので「買って欲しい」と言えない子どもになってしまっていたように思います。

島での生活は、
お店もない、病院もない、交通手段もないということで、
いくら40年ほど前のことだと言っても、
当時でも珍しい環境だったと思います。

だから「宇宙から来た宇宙人じゃない?」って言われる変わった人格になったのかも・・・

「セラピールーム ひまわり」プロフィール写真

転校して一気に下がった自己肯定感

小学校2年生で岡山市内に転居。

僻地からの転居で生活環境はガラッと変わり、ここで自己肯定感がいっきに低くなりました。

岡山は東京に比べると田舎の都市ですが、お店も病院もないような小さな島から引っ越した私は、自分のことを未開の地のジャングルから来た野蛮人みたいに感じていました。

両親には愛情たっぷり育てらて、友達も多かったし、学校では人気者だったのに、
完璧ではない自分を責めているような子供でしたから、なおのこと自己否定してしまいました。

「生きることは辛いことだなぁ。」
「どうしたらもっと楽に生きられるのか?」
小学生の頃から、そんなことばかり考えていました。

その頃、父に「人間はなんで生きてるの?」と聞いたことがありました。
父の答えは「死ぬために生きてるんだ。」でした。
私にはその意味はよくわからず、
「生きる」ってことが楽しくないという思いを助長しただけになってしまったのです。

そして、目の前のことを心からは楽しめていなかった記憶しかありません。

遠足とかも、
「あぁ~、明日の遠足の用意を考えると憂鬱だなぁ。」
なんてネガティブな面ばかりに目が行っていました。

「楽しかった出来事を思い出してみましょう」と言われると、
唯一思い出すのは、畑のあぜ道で四つ葉のクローバー探しをしていたことです。

こんな風に書いたら、かなり暗い印象に思うかもしれませんが、
いじめっ子を守るために、男の子を箒を持って追いかけまわしたり、
実は外見は結構明るくて、クラスの人気投票で一番になったこともあるぐらいなんです。

自己否定感が強かった分、
誰かの役に立って、自己価値をそこに見出したかったのかもしれません。

大学進学を考えたときに、
「何が向いているのか?」
「私には何ができるのか?」
「何に興味があるのか?」
を自分に問うたら、
「友達にも、何でも話せる。お母さんみたい。
って言われるから、
カウンセラーが向いているかも?」
と思ったんです。

その頃から、心理学やカウンセリングに興味を持ち始めていました。

〜〜つづく〜〜