プロフィール

大貫 めぐみ(おおぬき めぐみ)

  • 心理カウンセラー(日本プロカウンセリング協会:1級心理カウンセラー養成講座修了)
  • EFTスペシャリスト(EFT-Japan:レベル1・2・3講座・セラピスト育成講座・スペシャリスト育成コース修了、JMET:EFTプラクティショナー)
  • マトリックス・リインプリンティングプラクティショナー(創始者カール・ドーソン認定)
  • アドバンスプロカラーセラピスト&ティーチャー(Color Presents 認定)
  • ヒプノセラピスト(日本催眠誘導協会認定講師)
  • ACEプラクティショナー(創始者 リチャード・フルック認定)
  • 光の言葉セラピー セラピスト(創始者 淡路紀世子認定)
  • ヒューマンデザインアソシエイト(ヒューマンデザインジャパン認定)
  • ソウルプランリーダー(創始者ブルー・マースデン認定)
  • パステル和アート公認インストラクター(日本パステルホープアート協会)
  • パステルマットアート(R)インストラクター(「エヴァの森」認定)
  • アクリルフレームティーチャー(「エヴァの森」認定)
  • レイキ・ティーチャー(西洋式レイキ・天空レイキ)

誕生〜大学入学まで

「セラピールーム ひまわり」プロフィール写真

東京に生まれ、東京で育った父は、中学校教諭として僻地教育に熱意をもっていました。

そのため私が生まれたのも、北海道最北の宗谷地方の南部に位置する町「北見枝幸」という場所でした。

2歳からは、父の転勤に伴い瀬戸内海の飛島へ引っ越しました。

この島は面積が1.05k㎡しかなく、その生活は電気・水道のない当時でも特殊なものでした。

しかし私は、僻地の学校の先生の子供として見られ、父は東京育ち、母は大阪育ちということもあり、島の他の子どもたちとは違う生活環境を持っていました。

「セラピールーム ひまわり」プロフィール写真

小学校2年生で岡山市内に転居。

僻地からの転居で生活環境はガラッと変わり、ここで自己肯定感がいっきに低くなりました。

その後は「勉強で馬鹿にされてはいけない」という思いが強くなり、常に100点をめざすような子供でした。

大学時代〜カウンセラーをめざすまで

大学入学と共に両親はイラクのバクダットの日本人学校へ赴任。

私は精神的な自立ができていないまま、一人ぼっちを味わうことになりました。

ここから波乱万丈な人生が始まったのです。

寂しさがもとで、いろいろな事件に巻き込まれ、身も心もズタズタになる経験もしました。

そして大学4回生の時に、妊娠・結婚・出産。

卒業と同時に子育て・仕事に追われる生活が始まりました。

しかし、次男を里帰り出産(1989年)直後に、「好きな人がいるから離婚して欲しい」と元夫に言われたのです。

両親の希望、私自身の「母子家庭にしたくない」という想いから、次男が1歳8カ月になるまで、不倫を続ける夫との生活を続け、また身も心もズタズタになる生活を送りました。

そんな中、児童相談所の相談員のカウンセリングで、やっと離婚の決意をすることができたのです。

そしてその当時、父がペルーのリマの日本人学校へ赴任していたため、3歳と1歳の子どもを連れ、夫と別居という状態でペルーへ旅立ちました。

両親との10ヶ月のペルー生活で癒され、少しずつ元気を取り戻すことができました。

そして、親子3人で日本へ帰国して、保育所へ子どもを預けながら働くことに。

正式離婚をし、新たな生活のスタートをしました。

すぐに縁があり2度目の結婚。

1996年、三男が数万人にひとりの確立という重症先天性心疾患で生まれたのです。

そのため共働きができなくなり、経済的に破たんしてきたことや心身の疲労により、元夫の暴力が始まったのです。

そんな中、四男を出産しましたが、元夫の借金問題やDVが原因で、4人の子どもを連れて別居することに。

別居途中から元夫に下の2人の子どもを引き取られることになりました。

「子どもと一緒に住めないなら生きている意味がない」

と、当時の私は感じていました。

寂しさで泣き暮らす日々。

四男出産後から鬱病になり心療内科へも通院していましたが、

「泣き暮らしていても何も解決しない。小さな子どもがいないからこそできることをやろう。そうだ、私のやりたかったカウンセラーの道をもう一度勉強しなおそう。」

と、カウンセラーをめざし奮起することにしました。

思えば大学では、社会福祉学を専攻していましたが、カウンセラーになりたいという夢のために、「カウンセリング特別課程」を受講したり、学生相談室のカウンセラーが行っていたカウンセリングの勉強会やその他の心理系ワークショップに参加したりしていたのです。

そして、学生時代からカウンセリングになじみがあったからこそ、児童相談所の相談を利用したり、クリニックのカウンセリングも受けることができ、私自身がカウンセリングに助けられました。

民間のカウンセラー養成校に1年間通い、カウンセリングの勉強をやり直しました。

その後、下の二人の子どもの親権を元夫に取られた形で、正式離婚(2005年)。

2005年4月から、児童相談所に勤務。

2007年4月から、福祉事務所の家庭・女性相談員などを経験しました。

今から思えば、私は、大切に育てられたはずなのに、小学生の頃から第一子を出産するまで、生きることに積極的になれませんでした。

表面的には、活発で、優等生で、明るい子どもだったのに、常に自分に自信がなかったのです。

自信がないゆえに、完璧をめざすことしかできなかったのですが、100点でないといけない自分から、60点満点に基準を変えることができ、自分を誉めることもできるようになりました。

完璧でないところにも好感が持てるようにはなりました。

それでも、生き辛さは残っていました。

子どもが生まれたときはじめて「この子は私を必要としている。生きたい」と思ったのですが、それは、子どもが巣立ったら、消えてしまう生きる力でした。

そして、ヒプノセラピーの前世療法で、自分の生まれてきた使命を感じ、やっと本当の生きる目的を見つけました。

個人にてセラピーをはじめてから

「セラピールーム ひまわり」プロフィール写真

これらの経験をもとに、2009年より、EFTをメインに個人でセラピーを行うようになりました。

その後も、さまざまなヒーリング・セラピー技術を学び続け、進化し続けています。

今は、スピリチュアルなことも取り入れた独自のセラピーを提供し、クライアントさんの幸せのために、日々生きがいを感じながらセッションを提供しています。

4人の子どものそれぞれにちがった子育て経験や、2度の離婚でたくさんのことを学ばせていただきました。

料理旅館の若女将、生命保険外交員、学童保育指導員、知的障害者施設、情緒障害児短期治療施設などで働いた経験での学びも大きかったです。

特に、児童相談所・福祉事務所では世の中の裏の世界を見る経験をさせていただきました。

そして、ヒプノセラピーによって見つけた生まれてきた使命は、できるだけ多くの人を救うことでした。
だからこそ、生きているうちにできるだけたくさんの方のお役に立ちたいと思っています。

どんどんと日々の生活に幸せを感じ、感謝の気持ちが大きくなると、過去の悲惨だと思っていた経験も私にとっては必要なできごとだったと思えるようになりました。

今では、過去の2人の元夫にも感謝の気持ちを持っています。

恋愛に関しては、幾度とない破局を経験したにもかかわらず、人とのかかわりに懲りない性格のため、いつも恋をしてきました。

死ぬまで恋はしようと思っています。

心理学を学ぶうちに、望むパートナーを引き寄せ、パートナーとうまく生活していくには、まず自分自身の癒しが必要であることに気づきました。

現在は、最愛のパートナーとめぐり逢い、自分の自由な時間を持ちつつ、愛に包まれて幸せな日々を送っています。

私のセラピーに対するモットーは「愛と思いやり」です。

元来、私は人が大好きです。

古代ユダヤ教の秘儀にそのルーツを持つ5000年の歴史の数秘術でみると、「生まれ持った愛の奉仕者」だそうです。

あなたのお役に立てますことを、楽しみにしています。