前回の続きです〜〜。
もしよろしければ、前回からお読みくださいませ。
カウンセラーになりたかったのに、
大学は心理学部に落ちてしまい、
社会福祉学部に入学しました。
しかし、大学内外で、カウンセリングの勉強も開始しました。
なのに、生き辛さは加速したんです。
というのも、高校生までは出来事としてはたいして大変な問題はなかったのですが、
大学入学と同時に、
「カウンセラーにならたいなら、毎週私の研究室へ来なさい。」と言われ、
そこで大学教授からセクハラを受けたことを皮切りに、
いろいろな事件が起こったんです。
これも、高校時代までのかなり両親に依存していた生活から、
両親がイラクのバクダットへ住むことになり、
電話もほとんど繋がらないという状況になって、
寂しくてたまらなかったからだと思います。
もちろん、私の内面の問題があったからこそ、
そのような環境の変化に耐えられなかったのでしょうが。
セクハラやレイプに合ったことから自暴自棄になり、
寂しさが後押ししセックスに走りました。
身も心もズタズタになりました。
結局、在学中に妊娠し、結婚。
私が元夫と付き合うことになったのは
「世の中に障害者はいらない。使えない人はいらない。」
「俺は親には愛された経験がない。」
と元夫が言った言葉を聞いて
「なんて病んでるんでしょう。私の愛で変えてあげましょう。」
と思ったのですよ。
そう思った私も、病んでいましたね( ̄◇ ̄;)
最初の夫との間には、2人の子供を授かりました。
なのに、結婚3年後で、きっかけは夫の浮気が原因で家庭は崩壊。
私は、夫への不満を子どもに八つ当たりしていました。
子どもへ思わず暴力を振るったこともあったぐらいでした。
その割には、子育ての理想も強かったので、
最低の母親だといつも自分を責めていました。
すぐには夫と別れることもできずに、
1年半は家庭内別居だったので、苦しい日々が続きました。
その後、2年間の別居生活を経て、29歳で最初の離婚をしたのです。
別居時期から、
ひとりで2人の子育てしていく自信もなく、
すでにある方とのお付き合いが始まっていました。
そして離婚後、
すぐにその方と再婚。
さらに2人の子供を出産。
こんなに簡単に書いたら、
なんか簡単に結婚して、
簡単に、また2人産まれたみたいに思うかもしれないけど、
もちろんいろいろありました。
自己受容できていない、
精神的自立もできていない、
大人になれていないままで、
私は4人の子供の母親になってしまったのです。
この時は、一般的な母親の年齢になって出産したのですが、
(長男と四男の年の差は、一周りほど違います)
平穏な子育てとは程遠いものになりました。
〜〜つづく〜〜
子育てのほんの一部の出来事なのですが、
もし、私の子育て奮闘記『子どもの闘病生活編』を読んでいただけるなら、
下のリンクからお願いします。
自叙伝⑥ 重症心臓病の三男出産(2009年4月24日アメブロ記事)
自叙伝⑦ 新生児ICUでの対面まで(2009年4月25日アメブロ記事)
三男の心臓病の闘病から得たもの(2009年4月28日ブログ記事)
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